2015年1月13日火曜日

5 愛の法則から見たパートナーとの関係2


*双子の魂同士が、同時期に同性として転生することもありますか?

 それほど頻繁ではないが、そういうことも起こり得る。

*ひょっとすると、同性愛とは、双子の魂が同性として生まれ変わったためではないですか?

 いや、それが要因ではない。親子や兄弟姉妹の間柄になっても、近親相姦になるわけでないのと同じことだ。
 
 
*それが原因でないならば、霊的な観点からはどういう理由で同性愛になるのですか。

 すべてのケースに当てはまる一般的な回答をするのは難しい。それぞれのケースで異なるからだ。しかし、同性愛者として生まれる人が同性愛であるのは、その魂の前世での体験と関係している。
 物的な環境を離れた魂には性の区別はなく、性別が決まるのは転生する時である。また、転生時にはどちらかの性を優先したがるものの、進化の必要性から判断して、同じ魂が一つの人生では男性で次に女性になったり、その逆であったりもする。
 だから時々、前世での性別と反対の性を選んで生まれる魂が、前世の個性(性別も含めて)を完全に捨て切れていなくて、それが、今生の自分の性自認に影響することがある。前世での性別をどれほど自分と同一視するかによって、以下のような様々な状況となる。

 トランスセクシュアル(性同一性障害者)は、自分の生物学的な性別と反対の性を完全に自認する人で、自己認識と一致した身体を欲しがる。
 ホモセクシュアル(同性愛者)は、反対の性自認をすることはないが、現在と逆の性に生まれ出ていた前世と同じ性的指向を持つ。
 また、バイセクシュアル(両性愛者)には、現在及び過去の性別と同じ性的指向が現れる。

*どういう理由で、前世の人格が剥がれ落ちないのでしょうか?

 人格が剥離しない理由は多種多様だが、一般的には、自分の性別をエゴのために利用、悪用して、感情面も含む他者の自由意志を侵害してしまった場合など、魂に根ざした利己的な姿勢による。

*たとえば、どういう場合ですか?

 男性として転生した魂が極端な男尊女卑者で、女性たちを虐待したケースなど。たとえば、自分を愛してもいない女性を強制的に妻にして力づくで性関係を持たせたり、生涯にわたってひどい扱い方をして辱めたりなど、全般に女性全員にそのような蔑視の態度で接した場合である。すると今生では、蔑視していたのと同じ性別に生まれてくることになるが、前世と似た傾向の個性を保ったままだ。克服できなかった気質は、強く魂に浸潤しているからだ。

 または、女性に生まれた魂がその肉体的な魅力を利用して、男性たちを制し従わせるために誘惑したとする。すると今生では、自分が搾り取った者たちと同じ性別となって転生するが、前世の人格が根強く残っていて同じ性格のままなので、性的指向も全部または一部が以前のものとなるのだ。

*そのような状況から、何を学ばなければなりませんか?

 魂は、男女の性別を尊重するために、自分が痛みつけた性別を選んで転生しようとする。つまり、女性を虐待した男性なら、女性に転生して、今度は自分も女性であるので、女性を尊重することを学ぶ。あるいは、男性を搾取した女性なら、今度は自分も男性として転生して、男性を尊ぶことを学ぶ。
 性同一性障害や同性愛は、このような状況下で、当人が招いた情態である。その人に、前世の人格が根強く残っていて、性的指向も全部またはその一部分が維持されているのだ。

*カトリック教会を含む大半の宗教では、同性愛は悪いもので、その尋常ではない性的指向を放棄せよ、との見解です。異性愛の関係を持つことすら奨励しますが、あなたはどうお考えですか?

 同性愛者が、ただ外見を繕うために、異性愛者でもないのにそうなろうとするのには意味がない。自分が同性愛であることを認めなかったり抑圧したりしても、何もいいことがないからだ。そうすることで当人が不幸になるだろうし、選ばれた相手にとっても不幸だろう。自然でないことを無理強いできはしないのだ。
 同性愛者は、誰もがそうであるように、ありのままの自分を受け容れて当人自身でいる必要があるし、そのままで幸福を探し求めなければならない。同性愛者であるという状況は、悪いことではない。全くその逆で、その魂にとっては、自由意志と感情における自由の大切さを認識できる、進化の一助となるものだ。

 人は、本来の自分と違う人になることや嫌いな生活を強いられると、苦しむものである。それが、その人の試練となる。社会の無理解と拒絶にもかかわらず、自分自身になるために闘うのだ。本当の自分になるのが困難であると、自由意志の尊重をとても大事にする。そして、他者を強要することは苦痛の主たる原因となるので、何があってもすべきではないと気づき始める。
 同性愛と性同一性障害は、虚栄心との関係が深いとつけ加えておこう。虚栄心を克服しない限り、このような状況はなくならないだろう。

 
*双子の魂の話に戻りましょう。カップルとしての幸せが双子の魂の結びつきによるのであれば、今生でカップルとして一緒になれない環境―たとえば血縁関係にあるなどの―を選ぶことは、矛盾していませんか?

 時折、自分に一番よく似た存在がそばにいてくれることを確約する手段として、血縁関係を選ぶことがある。通常、血の繫がりがないと、相似する二人が一緒になる際の物的な障害が多く、一緒になるのが望ましくても、大半はそうはならない。こういう場合は、最善の状況ではないものの、確実な方法をとるのだ。

*パートナーがいる大半の人たちが、自分の双子の魂とカップルになっていないということですか?

 もう、そう言っただろうに。相似の魂と結びついている地上のカップルは、両手の指で数えられるほどだ。もっとも、もちろんのことだが、それが自分のケース、つまり類魂同士の結合ではない、と認める人はほとんどいないがね。

*一体誰が自分の双子の魂なのだろう、と疑問を持つ人たちもいると思います。簡単なことではないと思いますが、どのように自分の双子の魂を識別するのですか?

 君たちが自分の感情に従って行動し、愛する場合にもっと大きな自由が君たちの世界にあれば、より容易になるだろう。だが、そうなっていないので、可能であり得たことが複雑なことになってしまったのだ。

*肉体を持って生きている時に、双子の魂同士がカップルになるのを妨げてしまう障害とは、どのようなものですか?

 それも、もう話したろう。君たちの惑星の人間はまだすっかりエゴに浸りきっていて、愛の能力もあまり発達していないので、相手を選ぶ場合に、愛の感情よりも他の要素を優先してしまうのだ。生まれ出る前に、相似の魂同士がカップルになる約束をしていたとしても、転生すると別の人たちとくっついてしまうのが一般的である。

*そうなってしまう要因は何でしょうか? 言い換えると、なぜ、愛のない結びつきが起こってしまうのですか?

 肉体的な魅力に惹かれる場合、物的または精神的な便宜、二人の知的面での類似性、愛される必要性や愛する必要性など、いろいろな要因がある。

*具体的にどういうことか明確になるように、それぞれの理由についてもう少し深く説明してくださいますか?

 いいだろう。君たちの世界における最大の理由となる、肉体的な魅力または性本能から始めることとしよう。
 魂の愛する能力がまだ発達していない時は、意志が本能に多大に影響されていて、パートナー選びという特定の場面で、性本能が感情に勝ってしまうのである。そのため、内面ではなく外見を見て、性本能が反応する相手を選びがちだ。それで、肉体的に魅力的な人は相手が見つかりやすいのに、魅力がない者は、永久に見つからないような目に遭うのである。
 このような行動が君たちの世界では大多数だが、それは全体的に言うと、大半の人に愛する能力が足りないためである。また、青年期にパートナー選びが集中しているのも、その原因である。性本能が目覚めるこの時期は、若者特有の未熟さも相まって、より進化した魂でさえも、感情を発達させることよりも性本能を満たしたいと思うからだ。

*でも、カップルの関係では、相互に性的魅力を感じることが不可欠だと思います。お互いに性欲が生まれなければ、カップルになる意味などないと思われませんか?

 もちろんそれは必要条件だが、それで充分ではない。
 性本能と性欲とを混同しないことだ。二つの意味合いは違うのだよ。生物学的な性本能によって性欲が活性するのは確かであるが、性欲は本能によってのみではなく、感情によっても高められるのだ。
 生物学的な性本能は、基本的に、肉体的な魅力と目新しいものに対して反応する。それは、不特定多数との関係を促す、生物的なプログラムなのである。というのも生物学的な視点では、それが遺伝子の交配と種の繁栄に寄与するからである。
 愛情がないのに肉体的な魅力で二人の人が結びつく時は、ひと度性的に満たされてしまえば、お互いに性欲が減少していくのが一般的だ。それは、性本能にとってその関係が新鮮でなくなり、最初の頃のように高まらなくなるからだ。
 その関係が続くとどういう結果になるかというと、通常は性欲が減退する。二人の性欲が、完全に本能に基づいたものであったからである。セックスの間隔が空くようになり、僅かになる。そして新鮮でなくなったパートナーに興味を失い、他の新しい候補に関心を持ち始める。このような状況が続くと、初期には性本能の陰に隠れて見えなかった魂の類似性のなさや愛情の欠如が際立ってきて、不幸の温床となり、喧嘩や非難の増加となって表れる。この時になって、カップルの愛が終わってしまって情熱がないと言い始めるのだが、実は初めから愛など存在しておらず、本能が魅惑されていただけだったのだ。
 お互いに愛情があれば、性欲は本能ではなく愛の感情によって養われるので、目覚めれば、なくなることはない。

*次に物的な便宜による結びつきを話してください。

 それについては、あまり説明を要さない。つまり、物的な利益に基づく結合である。夫婦の一方または両方が、結婚することで、自分が持っていなかった物的な快適性、社会的地位、成功、名声、富や権力など、物的に有利になる何かを引き出せると思う場合だ。
 これが動機となる場合は、先の例よりもさらに貧しい結婚となる。性的魅力すら感じず、伴侶には愛しているから結婚したのだと思わせて、愛情があるふりをするのだが、何の愛情もないのは明らかである。

*そうすると二人が一緒になる理由は、それぞれ異なるかもしれないわけですね。二人とも物的な利便性が動機であるなら、取り繕う必要はないわけですから。

 全くその通りである。夫婦の動機がそれぞれ違うのは、よくあることだ。一方が物的利益で、もう一方が肉体的な魅力である場合もある。
 一例を挙げると、美人が好きな冴えない億万長者が、お金持ちになりたいと思っている魅力的な女性とくっつくケースである。双方ともに愛の感情はなく、自己願望を満たしたいだけなのだが、おそらく二人とも自分の意図は隠して、愛情があるように装うだろう。当初はお互いの希望が叶って比較的満足できたとしても、この関係ではどちらも幸せにはなれないだろう。