2016年7月29日金曜日

『愛の法則』の朗読音声

この度、読者の方が『愛の法則』の日本語朗読音声を作成くださり、youtubeにアップロードしてくださいました。是非ご利用ください。(PDF版)
短縮URL   https://goo.gl/BhNRnc

2015年5月29日金曜日

『愛の法則』の出版

 『魂の法則』の続編、『愛の法則』が2015年5月22日に出版されました。

2015年3月17日火曜日

質問箱 Q&A

『魂の法則』・『愛の法則』の内容についてご質問がございましたら、コメント欄またはtamashiinohousoku@gmail.com にお問い合わせください。多くの方々と共有できる質問であれば、著者ヴィセント・ギリェムさんが(ときにはイザヤの力を借りて)Q&Aで、できる限り回答します。

2015年3月9日月曜日

『愛の法則』PDF

『魂の法則』の続編『愛の法則』はこちらでダウンロードいただけます。
→ 愛の法則PDF  近いうちに、製本としてお届けできることを願っています。
 

  *追記: 2015年5月に出版が決まりました!

http://bit.ly/18sVmT0


これは、皆さんに贈る愛のメッセージだ。

本書が、自分の感情についての理解を深める一助となることを願う。
そうして、真実の愛の感情と偽物の愛の感情とを見分けることができるようになってほしい。真実の愛の感情だけを育んで、愛を装うエゴ的な感情を排除していく役に立てればと思う。なぜなら、それが幸せになれる唯一の方法だからだ。
愛することへの怖れを手放し、心で感じる通りの人生を生きてほしい。
僕たち一人ひとりが、誰にも侵害されることのない、自由に愛することができる権利を持っているということが、この本を読み終わった後で、はっきりと理解してもらえればとても嬉しく思う。
すべての愛をこめて。
                                         ヴィセント・ギリェム

 

著者、ヴィセント・ギリェムは、スペイン、バレンシア大学で化学博士号を取得後、がん遺伝子の特定に関する研究をしている。週末は全国講演を行うなど、無私無欲に活動している。本書「愛の法則」は、「魂の法則」の続編にあたる。


 

2015年3月3日火曜日

33 おわりに / あとがき

 僕は感動のあまり感極まっていた。周りの人びとも僕と同じほど衝撃を受けているのがわかった。短い時間に、あまりにも多くの強い両極端な感情を経験したからだった。
 円を組んでいたガイド役たちは、輪を解くと守護している人たちの元へ戻って行って、この強烈な体験から立ち直れるようにとエネルギーを流してあげていた。それから、皆すぐにそこからいなくなってしまった。
  
 「君も戻る時間だ」と、イザヤの声がした。
  
 そして強くグイッと引かれたかと思うと、ドンと身体の中に放りこまれていた。けれど、すぐには目を覚まさないで、硬直した状態のまま寝ていた。

 「目が覚める前に、少し話をしよう。君が覚えていやすいように、このままでいい」

 「あの人たちはどういう人たちなのですか?」と僕は質問した。

 「君と同じような人で、この世に転生している魂たちだよ。そしてその付き人たちは、彼らを助けている霊界の兄弟たちだ」イザヤが答えた。

 「皆、とても衝撃を受けていました」

 「そう、君もだ。この世の者にとってはインパクトが強過ぎるので、多くの者がこの経験を覚えていられないかもしれない。だが、潜在意識ではちゃんと覚えていてくれて、考慮に入れてくれるのだ」

 「僕たちが見たのは何なのですか?」と、訊いてみた。

 「君たちが見たのは、君らの世界の二つの異なる未来の可能性だ。最初のものは、人類がエゴに翻弄された場合の未来の可能性だ。そして二つ目のものは、愛を選んだ場合に待ち受ける未来だ」

 「それなら、まだこのどちらも実際に起こってはいないし、起こる必要もないのですね。最初の未来の可能性になってほしくないので、訊くのですが」

 「その通り。まだ、このようなことは何も起きていない」

 「僕たちが見た二つの未来の他に、もっと別な可能性もあるのでしょうか?」
 
 「そうだ。君たちが見たものは、ポシティブなものとネガティブなものの両極であり、その中間の状況も存在し得る。だがどの状況も最終的には、このどちらかの可能性に辿り着く。もちろん、一夜にして実現することではないのだが、長い目で――一つの転生以上のスパンにわたって――未来図を把握しておくことが好ましい」

 「では、どういう人たちがこのような未来の可能性を見ているのでしょうか?」

 「霊的に成長したいと願っている人たちだ。今日集められた君たちと同じように、転生している多くの者が夜寝ている間に守護霊に連れて行かれて、未来についてのこのような映像を見せられているのだ」
 
 「どういう目的でですか?」

 「自分たちの行為が全世界に及ぼす結果に気づくことができるように、君たちの内面を整えるためだ。そうして君たちが原因を知ることができれば、エゴの側か、それとも愛の側か、どちらにつきたいのかを決めることができるだろう」

 「最初の可能性を体験したい人はいないと思いますよ」

 「もちろんだ、誰も苦しみたくはない。利己的に振舞う者たちはいつだって、絶対に自分たちの行いの結果で苦しむことにはならないと思っている。我々が君たちに理解してほしいと思っていることは、すべてが繫がっているということで、君たちが他の人にすることは、遅かれ早かれ、いずれ君たち皆に跳ね返ってくる、ということなのだ」

 「でも、なぜこの未来図なのでしょうか? とても憂慮すべきものです」

 「それは、君たちの惑星の一部の極度に利己的で破壊的な力のある者たちが、人類全体の生存を脅かすようになっているからだ。君たちは彼らの破壊に手を貸すのかね? それともその反対に、それを阻止するために尽くすのかね? それはすべて、君たち次第なのだよ。君たちの自由意志によるのだ。今生か、あるいは今後の転生で、君たちはどちらの側につくのかを選ぶことになる。地球の運命は、君たちが握っているのだ」

 「僕たちが地球の命運を握っているだなんて、あんまりです。責任が重過ぎます! 誰だって、勘弁願いたいです」

 「地球の将来というものは、一人の人間にかかっているのではなく、何百万という人によるのだ。各人が少しずつ、愛あるいはエゴに基づく行動で参加することで、世界は多少良くなったり悪くなったりするのだ。もっとも、善または悪を成す能力と意志の力に応じて、他の人よりも大きな(あるいは小さな)害を及ぼしたり、多くの(あるいは少ない)愛を与える人はいる。
 これは、綱引きでの力くらべに似ており、二つのチームがそれぞれの綱のはしを持ち、真ん中に結びつけたハンカチを自分たちの方に引き込もうとしているようなものだ。君たちが選ばなくてはならないのは、どちらのはしを引きたいのかを決めるということだ。エゴの側か、愛の側か。この場合では綱引きのハンカチが、君たちの世界の未来に匹敵する。愛のチームに加わる選手が増えれば増えるほど、地球の未来が愛に変わる可能性が増すのだ」

 「で、勝負は今のところ、どうなっていますか?」

 「上手くいっていると答えたら、君は安心してしまうだろうし、不利な形勢だと言えば、がっかりしてしまうだろう。君はどんな調子だと思うのかね?」

 「やっぱり! 教えてもらえないだろうと思っていました。僕は、今のところはまだエゴが優勢だと思うのですが、人びとは現状では物事が上手くいっていないことに気づき始めていて、チームを乗り換え始めています。つまり、以前はエゴの側を引っ張っていた人たちが、今は変わって愛の側を引くようになっていると思います」

 「そう、それに片方のはしを少し引っ張ってみたかと思うと、次は別のはしを引いてみたりと、自分の都合に合わせてやっている人もいるね、はっはっは」

 「これは、冗談にして笑えるようなことではないと思いますよ」

 「冗談にしているのではなく、ただ君の緊張を解いてあげようと思ったのだ。今日体験したことで、身がすくむほどの衝撃を君が受けたように感じ取れるからね。だが、心配することはない。さあ、そろそろ、別れの挨拶をせねばならない」

 「もう行ってしまわれるのですか?」

 「もう家に戻らねばならない。君とここにいるのもいいが、あちらはずっと居心地がいい。でも、またすぐに会えるから、心配には及ばない。弟の君に愛を送ろう! 家族の皆にも、よろしく伝えてくれたまえ。もうわかっていると思うが、全人類という我らが愛する家族のことだ」
 



著者のあとがき


 見返りを求めないという無条件の愛の趣旨にふさわしく、この本がすべての人に無私の志で届いてくれることを切に願う。
 そのため、内容を変更せずに営利を目的としないのであれば、本書を自由に取り扱ってくれてよい。すべてのメディアでの全体あるいは一部の複製をこの場で許可し、その活動を後押しするものとする。
 皆の協力によって、輪が広がっていくことが僕の願いだ。霊性や愛のテーマに関しての質問があれば、それが個人的なものでも一般的なものでも気兼ねなく訊いてもらえれば嬉しいし、可能な限り返事をしたい。
 一般の関心事で役に立ちそうな貴重なものは、共有していくつもりだ。本書『愛の法則』は『魂の法則』の第2編に当たるが、前作の読者から寄せられた質問も取り入れてある。
 また、できるだけ多くの人びとにメッセージが行き渡るように、本書を他の言語に訳してくれる、私心なき人たちの協力もお願いしたい。
 話を直接聞きたい人の数がある程度まとまって、君の町や村に僕たちに行ってほしい場合は、遠慮なくそう教えてほしい。君の町や村が、他の国や別の大陸にあっても構わない。僕たちのできる範囲で、要望に答えたい。
 講演会での依頼者側の費用負担は心配ない。完全に無私無益の活動なので、旅費や宿泊費も僕たちが持つ。誰でも興味のある人が、自由に無料で参加できることが条件だ。

 君に、僕の愛のすべてをこめて。いずれどこかで会えるときまで


  

2015年3月2日月曜日

32 おわりに

おわりに


 ある時イザヤと話していると、「今日は弟の君に見せたいものがあるので、身体から抜け出てもらいたい」と言われた。
 

 そのとたんに僕は体外離脱をしていて、イザヤによく案内される例のたいそう美しい場所のガラスのピラミッドの一つに、超スピードで送り込まれていた。それから、円形の劇場のようなところに連れて行かれた。その真ん中には丸いステージがあって、周りを座席が取り囲んでいた。ステージの中央には台のようなものがあり、その上に磨きあげられた大きな透明な石が載っていたが、それは水晶のようだった。

 「好きなところに座りなさい」とイザヤが言った。

 後からは、僕のように付き添いのいる人たちが何人も入ってきて、座席を埋めていった。その人たちは僕と同じ人間で、付き人たちは、ローブをまとった姿とその輝くオーラから、ガイド役の霊たちと思われた。皆、僕のように座っていったが、ガイド役たちはイザヤと同じように中央に進み出て、石を載せた台の周りで、手をつないで円形を組んだ。そうするうちに室内の電気が暗くなっていって、ほぼ消えた状態になった。
 見ていると、水晶のガラス面がだんだんと光り始め、突然、その光が射るように天井に撃ち上げられた。どういう仕組みだかわからないが、それによって中央の丸いステージの部分全体が明るく照らされ、光り輝く筒型となった。それから、その輝く筒はどんどんと大きくなっていって、皆をその内部に取り入れるように、室内の僕たちを包み込んだ。

 「怖がる必要はない。何も危害は及ばない。これから見るものに注意を払いたまえ」という声が頭の中で聞こえた。光が徐々に弱まり、映像が見え始めた。それは立体映画と似ていたけれど、真に迫っていて、本当にその中にいるように思えるほど、すごくリアルだった。画像も完璧だったので、実際にその場所にいると断言できるほどだった。

 画面に、多くの聴衆を前に演説をしている政治家らしき人たちが現れ、熱狂した群衆は拍手をしたり何やら叫んだりしていた。話している言葉はわからなかったが、考えていることは読むことができた。政治家たちは、別の存在たちから指示されていたのだ。姿は見ることはできなかったが、彼らはダークな存在で、話している政治家たちに暗い波動を送っていた。戦争を始めるようにと、そそのかしていたのだ。
 政治家たちが話をすると、それにつれてその暗い気の流れは、霧のように群衆へと広がっていって皆を染め、人びともこの薄暗い霧まみれになってしまった。怖れ、憎悪、狂信の大きな流動を感じ取り、僕は強い衝撃を受けた。

 それからその映像は消え、今度は軍隊が行進している様子が見えた。次に、飛行機、戦車、戦艦、歩兵戦闘車、ミサイル発射機などがフル回転している画像が映り始め、機関銃を手にした兵隊が戦闘準備を始めていた。そのうち爆弾が投下されだし、落とされていく先々では、爆撃がすべてを破壊していく。
 僕たちは、男の人も女の人も子どもも、多くの人びとが死んでいくさまを見せられた。中には、弾丸に蜂の巣のように射抜かれたしまった人も、爆弾で身体の一部が吹き飛ばされてしまった人も、焼け焦げになってしまった人もいた。また、兵士たちが女の人たちを力づくで平然とレイプし、その後で情け容赦なく殺していくのを見た。囚人たちは、殴られ、拷問されて殺されていった。町や村や畑は破壊尽くされ、至るところに死体という死体が散乱していた。

 本当にその場で起きているみたいに思えたので、それは僕が生涯で経験した最も恐ろしい出来事だった。僕だけでなくその場の皆も、全員がショック状態だった。そのうち、飛行船に乗せられて急上昇したかように、いつしか上方からすべてが崩壊していくのを眺めていた。
 ミサイルが空から注ぎ、そのうちの一つが大きな街に的中するのを見た。凄まじい轟きと共に、爆風の火玉が息を呑むような破壊力で燃え広がり、すべてを焼け尽くし、そこからもうもうと立ち上る埃は、巨大な雲となった。焼け野原と成り果てた領域の広さは測りかねたが、それは巨大だった。

 しばらくすると、その爆発からかなり離れた地面の上に戻されて、そこから雲の形を見てみることができた。広島や長崎の原子爆弾のきのこ雲と同じものだったが、もっと威力が強く破壊的な爆音に感じられた。そして、それと同様な原爆があちらこちらで炸裂するのが見えた。
 それは、地獄のような光景だった。場所によっては、すべてがなぎ倒されてしまい、全く何も残っていなかった。何もかもが灰燼に帰してしまったのだ。廃墟が残っているところもあったが、ずたずたになった遺体がそこら中に転がっていた。ボロをまとった憔悴しきった生存者たちは、爆心地から逃げようとして、あてもなく彷徨っていた。映像はそこで終わった。

 それから別の映像が始まると、地球のどこかで大地が揺れ出し、沢山の亀裂が走るのが見えた。相次ぐ大地震で、かろうじて残存していた物も崩壊してしまった。あちこちで火山が爆発し、どこかしこでも溶岩が、荒廃しきった地面をさらに焼き尽くしながら流れていった。また、言葉にできないほど大きな地響きも聞こえた。そこの大地は、陥没しつつあったのだ。
 僕たちは同時に、さまざまな場所のビジョンを見せられたが、どこでも同じような天変地異が起きていた。沈没する陸地によって周囲の海の波はそそり立ち、巨大な津波と化した。津波がまだ沈んでいない大陸の沿岸に達すると、すべてのものが飲み込まれていったが、それは測り知れないほどの域にわたっていた。海にどっと流れ込む溶岩で莫大な水蒸気がたちこめ、空は瞬く間に厚い雲に覆われてしまった。そして、凄まじい嵐と暴風雨に襲われると、日の光は消え失せてしまった。

 その後、僕たちは地表から少しずつ離れていき、宇宙から地球全体を眺めるに至った。暗澹たる光景だった。青い海も緑や褐色の大地も、白い雲さえもそこにはなかった。どんよりとした灰色の大気に覆われた球体で、大地さえも垣間見ることができなかった。僕たちの地球のそのような運命を見るのは、何と悲しかったことか!
 ビジョンはそこで終わった。筒型のスクリーンは、再び部屋の中ほどまでに縮小して消えた。そして劇場の照明はまた明るくなったが、そこにいた僕たち観客は皆、ショックから抜け出せないままだった。

 ガイド役の一人が部屋の中心へ歩み出て、ガラスの水晶を取り上げると、それを別のものに変えた。我に返る猶予も与えられないまま、前と同じように筒型のスクリーンが作動し出し、僕たちはまたもやその立体映像の中に取り込まれた。

 ダークな存在にネガティブな波動を送られながら戦争を鼓舞する演説をしていた、以前と同じ政治家たちが現れた。だが彼らは、今度はそれをテレビ局から行っていた。テレビを通して、他の国々と戦争を始める決定を伝えていたのだ。でも、人びとの反応は前とは違っていた。集会を行ってはいたが、今度は好戦的な政府を支持するためではなく、政府に対して抗議をするためだった。
 大規模なデモが繰り広げられ、政府は軍や警察に命じて、市民を取り締まりデモを鎮圧しようと懸命だった。しかし、軍も警察も市民の弾圧に加担することを拒否し、抗議運動に加わった。躍進する市民革命に政府は転覆させられ、政治家たちは逮捕されて投獄された。戦争に突入しようとしていた国々では、どこでも同時に似たことが起きていた。

 それから、かつての政治家たちとは全く異なる印象を与える人たちが登場した。彼らは、明るい波動を送る光の存在たちに付き添われており、市民にもその波動を伝えていた。謙虚さと冷静さが伝播し、平和と愛を伝える光の輪が波及していくのがわかった。新しい指導者たちは、暴力的な活動の一切を禁じ、人類が新たに進むべき道を決めるために一種の国際議会を設立した。
 次のビジョンでは、戦闘用の機械がすべて解体されて溶かされて、軍も解隊されると、世界を大戦の淵に追い込もうとしていた者たちが裁判にかけられた。そして僕らは、この英断の後で――それがどのくらい後のことなのかはわからなかったが――地球に起きた変化を観てみることになると、テレパシーで告げられた。

 何もかもが良い方向に変わっていた。市民の日常生活からは、戦争も紛争も、貧困や階級の差もなくなっていた。人びとは調和を保ちながら暮らし、幸せ一杯の顔をしていた。そこで映像は、先程と同じく宇宙から眺めた地球の姿を映し出すと、終了した。
 初めのものとは、なんと対照的な眺めだったことか! 前とくらべて、地球がどれほど美しく見えたことか!

 筒型のスクリーンは、再び部屋のステージの大きさに縮まり、そして止まった。

2015年2月27日金曜日

31 イエスの地上での使命 ―その2―

*イエスが新たに転生するかについて話していたので、彼の再来を予告しているらしい黙示録のことを思い出しましたが、その見解は正しいのですね。

 ああ、そういうことだよ。

*でも黙示録では、地球の未来におけるさまざまな事象についても予告をしていますが、その多くが破局的なものです。そのような予言は的を得ているのでしょうか? この件について、少し説明していただけないでしょうか?

 前にも言ったと思うが、黙示録というものは、起こり得る地球の未来のヨハネによるビジョンの一つに過ぎない。ヨハネはその中で、地球で起こる可能性のある一連の事象――あるものは人間によって引き起こされ、他のものは自然の地質的変化の結果であった――と、その時期に人類が経験する事件や変革を見ることができたのだ。そして、彼はそれらを自分の能力の範囲内で、その時代の人たちに伝えようとした。
 全部の事象を一遍に伝えているので、すべてがあっという間に起こるという印象を与えるが、実際にはこれらの物事は千年単位の長い期間に及んでおり、最終的には人類の霊的な進歩が起こるのである。
 その時に、人間は、自分たちがどこから来てどこに向かうのかをはっきり知ることができ、人類よりも高次の存在がいるということを発見するだろう。神を筆頭に(ロゴス)キリスト、イエス、それに君たちの見知らぬ存在や名のない者たちが、人間を愛し、その霊的な成長と幸福とを見守ってくれていることに気づくことになる。

*黙示録ではキリストの再来を告げると共に、反キリストの王国のことにも言及していますが、反キリストはいるのでしょうか? これから生まれ変わるのでしょうか? それはいつでしょう?

 悪において全能な者などは存在しないと話したと思うが、害を及ぼそうという明確な目的意識で生まれてくる魂などもいやしない。悪いことをしてしまうことになっても、霊的なミッションのようにそれを目的にしているわけではない。どんな魂であろうとも、あらかじめ悪い意図を持って転生することなどないのだ。そうではなく、霊的に進化していないがために、生まれ出ると自分のエゴの衝動につき動かされて、悪に傾倒してしまうことになる。
 したがって、君たちが、反キリストという存在が極悪で、世を破壊してキリストやその支持者をやっつけることを目標にして生まれてくると思っているのだとしたら、そんな者は存在しないと言っておこう。

 
*反キリストが存在しないのだとしたら、黙示録ではどういう意味でこの言葉を使っているのですか? それとも、これも文書が改ざんされたせいなのでしょうか?

 ヨハネには、未来で起こる物事が、愛に反する利己的な価値観に支配された人類の巨大なエゴのせいに見えたということだ。またメッセージの一部は、後世に簡単に改変されないように隠語で伝えられている。
 こう考えれてみれば、反キリストという者は、未進化の人間の利己的で野心的かつ無慈悲な面を表した象徴的な存在ということになり、そのために兄弟たちに多大な害を与えてしまうのである。つまりそれは、エゴが人格化したものなのだ。
 また反キリストの王国というのは、エゴに支配された世界を表している。我々がキリストの教えを無条件の愛だと受け取るのであれば、反キリストとはキリストと反対のことをする者であり、愛と真逆の者のことなのだ。

 
*では、皇帝ネロやナポレオンやヒトラーなど人類に大きな痛手を与えた人物たちは、反キリストだったのですか、それともそうではないのですか?

 反キリストというレッテルを貼られたこれらの人物は、たいそう利己的な者たちで、野心や権力への野望につき動かされて、人類に多大な被害を及ぼした。だが彼らのような者は、歴史上には幾らでもいた。現在でも存在しているし、エゴが世の中で幅を利かせている限り、これからも存在し続けよう。世間の目にもっと重々しく怖く映るかもしれないだけで、彼らをどのような名で呼ぼうと、今より善くなるわけでも悪くなるわけでもない。

 
*黙示録に出てくる世の終わりというくだりは、2012年に人類の大惨事が起こるとしているマヤの予言を彷彿させるのですが。

 君は、西洋人がマヤの記録にそう書いてあると思いたい、と言いたいのだろうね。なぜなら、マヤ族の子孫にそのことを訊いてみるなら、そんなことはない、と答えるだろうよ。

 
*でも2012年には、人類を滅ぼすことになる天変地異とか第三次世界大戦の開始とか、何らかの終末的な出来事が起こるのでしょうか? 
 

 2012年には、そういったことは何も起こらない。自然災害は、今までと同じような頻度であり続けるだろうが、そのどれも、地球環境を破壊させるほど甚大なものではない。君たちは自然災害のことをすごく心配しているが、それらは君らには防ぎようがないだろう。それなのに回避可能な、人間の仕業である戦争や残虐行為などの事象については、ほとんど気にかけることがない。
 残念ながら君たちの世界で頻発している紛争は、現在とほぼ同じような傾向で継続するだろうし、愛についての意識が変わらない限り、この状況は続く。だが今のところは、地球や人類を破壊するようなことは何も起きない。

 
 思い起こしてみれば20世紀の終わりにも、ノストラダムスの大予言に基づく似たような強迫観念があって、世紀末から21世紀にかけていろいろな大惨事が起きると予告されていた。だが、2001年になっても、何も起きなかった。些細なことをおおげざにしたのは、多くの人びとの狂信や妄想や無知である。このようなお粗末な占いを信じてしまう人たちは、霊的進化という真に大切なことに集中できなくなり、恐怖や幻覚の狂気に囚われてしまう。
 先にも言ったが、近く到来する変化の根本的なものは霊的なもので、これは特定の年や日付に限定されるものではなく、何百年にも及ぶ時代を包括するものなのだ。2012年にこの世が終わると思っている者たちは、大いに失望するであろう。

 
*それから、世界のさまざまな場所で終末感が漂う超常現象が起こって――ルルドやファティマにおける出現のことです――大きな反響を呼びましたが、そこには真実の部分もあるのでしょうか?
 
 本当なのは、霊媒能力を持つ人と直接交信してメッセージを伝えようとする、霊的な存在がいるということだ。メッセージは個人的なものもあるし、全体に及ぶもののこともある。
 通常はそのような出現があっても、体験者に分別があり、その現象を言いふらせば精神異常者にされるのがおちだと知っているので、あまり大きな騒ぎになることがない。だがルルドとファティマのケースでは、それを見たのが子どもたちであり、彼らが目撃したことを自然体で話したために有名になったのだ。

*ルルドとファティマの場合に出現したのはマリア様だったと言いますが、それは本当ですか? どんなメッセージを伝えたのでしょうか?
 

 いや、現れたのは聖母マリアではない。もっともこれは、どちらでもいいことである。だが、女性の姿を借りて現れた高次の霊であったというのは確かである。
 もっとも、マリアだと名のったわけではない。名のることは滅多にないし、名前を言ったとしたなら、それは総称なのだ。それが聖母マリアだということになったのは、子どもたちが教えられた信仰の人物と結びつけたからか、そのヴィジョンの後で、大人たちがそれをマリア様だと子どもたちに思い込ませてしまったからである。
 もたらされるメッセージは一般的にとても明確で、人間が進化するためにこの世に存在していることや、エゴを解き放ち愛する能力を発展させねば進化ができないことなど、我々が話している内容に沿っている。また時には、個人や集団としての利己主義が将来全体的に引き起こすことになる、戦争などの未来の危険性についても警告する。

 だがこのようなメッセージを受け取ると、教会がしゃしゃり出て来て、自分たちに都合がいいようにそれを歪曲したり、利益を損なわれないように知られたくないことを黙殺するのだ。
 聖母マリアは特に利用価値がある。マリアとおぼしき人物が現れたのは、キリスト教へ改宗するように人類に呼びかけるためだと思わせて、さらに信者を増やそうとしたり、現状を保持しようとする。それに狂信と迷信が加わり、これらの場所は巡礼の中心地となる。こうして、信者の狂信と無知の犠牲の上に、莫大な儲けを得るのだ。

 
*教えてもらえるとしたらですが、ファティマの第三の秘密とは何でしょう?

 霊的世界が秘密にしておきたいと思ったなら、世に伝えることなどなかった筈だ。霊的世界からのお告げに鍵をかけてしまっておくのは、それを公にすると明らかになってしまうことを怖れる人間のエゴ、特に世の中で物的な支配権を持つ者たちのエゴのせいだ。しかし、このことで頭を悩ますのはやめなさい。そこで告げられたことは、他の方法で、もう開示されているからだ。